神からのおくりもの
渓流を流れる水はサラサラ。
この美しい水は森で育まれた神からのおくりものに違いない。
本当は人間が汚すことなど決して許さることではない。
森で育まれたこの美しい水も、海にたどり着く頃には、汚れてしまう。
人間はいつになったら気づくのだろう。
文と写真は「森のささやき by morisong サラサラ 2006年03月23日」から引用
神からのおくりもの
ブロガーインタビュー第四回は、神々しいまでに美しい森の写真とせせらぎの音が聞こえるような渓流の写真が極めて印象的な
森のささやき by morisong からブロガーの
morisongさんをお招きして、お話をうかがいたいと思います。
―morisongさん、よろしくお願いします。
morisong
よろしくお願いします。
―いつも拝見していて、ディスプレイ越しに見ているとは思えないような圧倒的な臨場感と、その生命力溢れる森の美しさに言葉を失います。これはどちらで撮影されているものなのでしょうか。
morisong
私がよく通う菊池渓谷は阿蘇外輪山の北西にあって、その伏流水がここを流れ美しい森を形成しています。阿蘇最初の噴火は今から約30万年前といわれているんです。世界一のカルデラを持つ雄大な外輪を眺めていると、その噴火の規模は想像を絶するものだったろうとの思いが込み上げてきます。だからこの森を歩くと、気がつけばいつも古に思いを馳せています。
―森を歩きながらのタイムトリップですね。写真を拝見していると、本当にタイムポケットがあるような気がしてくるから不思議です。具体的にはどれくらい時間を遡るのでしょうか。
morisong
やはり噴火後の荒涼たる大地でしょうか……噴火後しばらくの間、火山岩と灰で覆い尽くされた大地。その無機質な固い岩盤に、いつしか雨が降り注ぐ。やがて陽の光を受けた大地にコケ類が繁茂していく。さらに気の遠くなるような歳月をかけ、少しずつ森になり、同時に豊かで潤いのある川が流れ、生き物たちも自然の法則に従って生死を重ねた……そんなことを考えます。
―ブログの写真を拝見していると、夜明けのシーンや早朝のシーンが印象的です。その瞬間を待ってお撮りになるということは、夜のうちに森に入られるのですか。
morisong
そうですね。夜が終わりかけの薄墨色の森を歩きます。せせらぎをBGMがわりに、何層にも重なった落ち葉の道をサクサクと歩きます。14、5分も歩けば、足元の心地よい感触の中で1週間分のストレスと先程までの雑念が、己の吐く吐息の中に消えていくんです。自分という存在の気配が消えて森と一体化しているみたいな感じですね。そして曖昧であった森の輪郭が自己主張を始める頃、小鳥たちが黎明の歌を謳うのが聞こえてきます。夜明けの森の、あるがままの姿を感じながら歩く心地よさは、何にも変えがたいものがあります。
―森の写真の中には、動物の気配や、骨などもあり、ブログを通じて森は生きているということをいつも実感させられる思いがします。
morisong
森を歩けば「輪廻転生の縮図」をいつでも見ることが出来ます。例えば、木が朽ちるとそこには直ぐ新たな命が宿るんです。勿論寿命もあるのですが、何らかの理由で森に順応出来ない場合、自然と弱り朽ち始めます。朽ち始めるとそこには不思議な力が結集してきます。ミミズやバクテリア等が一丸となって、その樹木のエネルギーを吸収しながら、同時に森の大切な命の元である土に返す仕事を開始します。同時に、朽ちかけた倒木や、そのまわりの地表には、実生で育ち始めた小さな命がたくさんあります。この様な光景を目にすると、森は命そのものであり、次世代へと継承される豊かな森であることを実感します。またそれは色々な動物にも同じことが言えます。森では沢山の死に直面しますが、それは究極の死ではないんです。次世代へ受け継ぐための仮の死であって、森では何の無駄もないんです。
―それは今、見直されている「共生」が森の普通の姿であり、森にはいわゆる「One for all, All for one.」という命の役割分担があるということでしょうか。
morisong
木も、草も、キノコも、菌も、虫も、小鳥達も、狐も、イタチも、川を泳ぐ魚も、全てが一体となってこの森を守っているのだと感じます。誰が教えたわけでもない。これが森の姿であり、必然であり、自然の法則に従っているだけなのだ。そう思います。そして、このような話は菊池の森に限ったことではないんです。世界中全ての森が、自然の法則に従って永遠に繰り返されて来たわけです。だが人間達はこの永遠の法則を、わずか1世紀足らずの間に、根本から破壊してしまった。それが本当に残念です。
―人間が造る規則は、次世代を考えていないという警鐘のようにも聞こえます。morisongさんだけにおわかりになる森からの伝言がおありになるのではないかと拝察します。それをぜひお聞かせください。
morisong
美しい樹木達と澄んだ水、そして小鳥のさえずりを聞きながら歩いていると、ここは摂理・法則の森なのだと、畏敬の念さえ抱いている自分に気づきます。逆に我が身も含めて人間の愚かさを感じ、また自然のままでいることの難しさを同時に感じます。行く末を案じながら、このような美しい森の夜明けが、いつまでも続くこと願って止みません。
―本日は、森の妖精さん、ではなくてmorisongさんに森の息吹をそのままお運びいただき、お話での森林浴をさせていただきました。本当に、菊池渓谷をはじめとする美しい森にいつまでもこのままでいてほしいという思いになりました。morisongさん、大変貴重なお話をどうもありがとうございました。
morisong
どうもありがとうございました。
morisongさんの写真で見る森林浴をしてみたい方はぜひ
森のささやき by morisong を訪ねてみてください。どの記事も素晴らしいものばかりですが、その中でも森の静謐な空気が画面越しに流れてくるような臨場感が圧倒的な記事を下記に二つ抜粋させていただきました。
【画面で見る森林浴】
薄墨色から、朝の光へ 2006年 09月 04日
森の聲が聞こえてくるよ 2006年 02月 11日
【morisongさんの多彩なブログ】
構築の美学 by morisong
時代の移ろい by morisong
乱気流 by morisong
廃墟の森(解体の美学)The world of Morisong
【ブロガーインタビュー】
21世紀の縄文人 「野楽生れば」 1/3
温故知新 「縄文の風、たましいのこえ」
100年後を考える【極楽】chapter 1